ビッグサンズの挑戦
【第7回】“三番手”今や大黒柱に

20年前の10月、ビデオに夢をかける同志が集まってスタートした、大阪のベンチャービジネス「ビッグサンズ」は、創業10年ほどで、鉱脈を掘り当てた。

というと、偶然の幸運が舞い込んだようだが、そうではない。村田社長以下の日常の目配りと研鑚(けんさん)が実を結んだのである。ちなみにビッグサンズと いう社名は、やんちゃな子供たち、というような意味である。鉱脈とはLED(発光ダイオード)による電光表示システム「電子ディスプレー」である。それら のことはすでにご紹介した。いま、街角や商店街などで、文字や絵が動きながら人々に情報を伝えている看板や表示板である。

現在、その電子ディスプレーの売上額はビッグサンズ全体の売上の65%を占める。文字どおりの主柱になっている。

「実は」と村田社長は苦笑した。「あのころ会社の柱にしたかった事業は3本。美術品のコンピューター販売『リトグラフ・ネットワーク・システム』、立体映 像『3D』とこれ。どちらかといえばこれは費用もかからず3番手でした。それが1番成長しました」

期待度の比較的低かった教え子が、最高に成長した、その意外さ嬉しさに苦笑したのである。「そうでしたね」と、次に会ったとき確認すると、村田社長は「そ んなこと言いましたか。手掛けた事業にはみな最大限の期待をしてますよ」と言う。これだけ事業を広げると経営者としての発言は慎重になる。

当時のLEDは赤一色の静止文字で輝度も弱かった。発光体は国内の電機メーカーがすでに生産していたが、「光も弱い、見通しも明るくない」といわれていた。

ビッグサンズ集団は、いちど関心をもつと徹底的に集中する。そのうちに、「輝度の増大はデバイスメーカーに任せ、我々は入力を簡単にするのが先じゃない か」という考えが生まれた。当時のLED表示装置は専門家でも入力に手間どった。キャプテン・システムがヒントになった。NTTの文字図形キャラクター通 信システムである。窓が開けた。手書き文字も画像も簡単に描ける。動く映像も可能である。

ビッグサンズが市場を制圧した。というより市場の開拓者そのものがビッグサンズだった。『手描き入力システム電光ライト・せんでん虫』など独自のシステム も開発した。文字や画像をICカードに入れ電話線で顧客に届ける。顧客の手書き画像も受信できる。

その間に、発光体のカラーも赤・ミドリ・オレンジの3色に増えた。最近では青の発色も使われ、フルカラーの実用化も目の前に来ている。単純な看板が、魅力的な新商品に生まれ変わった。

他のメーカーも追ってくる。激しい競争が需要のパイをさらにふくらませている。

ビッグサンズはさらに画期的な次世代ディスプレーシステムを開発中である。

(村上順一郎)
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【第8回】“心のいやし”を求めて

ビッグサンズはこの10月1日、満20年の誕生日を迎えた。

昭和53年(1978)、資本金570万円、同志11人で始めたベンチャー企業が、いま資本金5億1399万円、グループ企業3社社員数100人を超える規模となった。

だが、村田社長は自戒する。「無事これ名馬なりはベンチャーの気概を薄れさせる」と。その気配がみえるとすぐ、社員の気風にも社内の組織にも向上心と改革 を求めてきた。これからもそうしよう、と感慨の去来する胸の内で思う。ビッグサンズの未来設計図はどうなるのか。それはのちに触れる。

今回は、電子ディスプレーにつぐ柱となっている『プリペイドカード』を紹介する。

病院の入院患者がテレビ等の借用料をカードで払うシステムだ。コインより清潔感があって患者と病院から歓迎され、市場は広がっている。これもビッグサンズが開拓した。

電子ディスプレーより新しく7年前、開発した。受像機わきのプリペイドカードタイマーにカードを入れると記録された時間だけ、テレビをみることができる。 ビッグサンズの「Auvicul」(オービカル)ブランドの「カードタイマー」は、いまこの機器のスタンダードになっている。

カード自動販売機は院内に置かれ、千円札を入れるとカードが出る。電気洗濯機や冷蔵庫、電話も同じカードで利用できる仕組みも普及し始めている。

ビッグサンズは、7年間で累計14万台の機器を普及させ、カード売上は年間400万枚に上る。業界のシェア40%のナンバーワン企業である。病院経営の合理化や環境改善への要請が高まる中で、期待できる市場になっている。

もう1つ今年から本格的に取り組み始めたのは「まんがの図書館」である。まんが本数万冊をそろえた店に利用料を払って入ると、スナック類などの自動販売機があり自由にマンガを楽しめる。

入場料は30分200円。お客の平均滞留時間を1時間半から2時間、平均1.5時間として、料金は平均600円ていど。自動販売機の缶コーヒーなど1杯 100円余りとして、700円余りで楽しめる。パチンコより安い。かなりの利用者が見込めるのではないか。

平成8年に、梅田店(大阪市北区太融寺)を設置、翌年、難波店(同市中央区難波)、心斎橋店(同区南船場)に開設。この春は三軒茶屋店(世田谷区三軒茶 屋)で首都圏進出、8月には池袋東口店開設と順調に業績を伸ばし、いよいよフランチャイズの展開に入る。「心の癒(いや)し」市場への突破口作戦である。 日々めまぐるしく変化する。"火宅の市場"の情報サービス業界にあるビッググループが自ら求める「心のいやし」の場を事業化した。東京池袋進出店では「フ クロウ大明神」を祭り、おみくじ、そして"癒(いや)し袋"の遊びも始める予定。

これも『普及率ゼロ』の新分野である。

(村上順一郎)

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【第9回】ツキを味方に

いま、不況や貸し渋りの嵐が吹き荒れている。ビッグサンズはどう乗り越えてきて、どう生き抜こうとするのか。

ビッグサンズには創業以来10年ごとに節目があった。創業20年目だから、創業時を別にすれば乗り越えた節目は1回だが。

最初の10年、カネの苦労はなかったと村田社長は言う。え?

その話はこうである。

もともと、大阪のビデオ・オーディオ電機メーカー出身の村田三郎が有志11人と独立した会社である。全員が出資者だった。前職の経営者も前途を祝して出資してくれた。それ以外に、資金の借り入れはしなかった。

借り入れで手持ちの担保を差し出したくても担保がない。連帯保証人を頼めば相身互いになって、リスクが大きくなる。

「脱サラからの出発だから金は借りられない」という前提だ。では、どうしたのか。

ちょうどリースクレジット業界の勃興期だった。創業時は、ビデオ・オーディオ機器の販売と結婚式ビデオ撮影である。機器を仕入れて、月初めに信用販売で売 る。10日前後に代金が信販から入金される。社内の給与や経費精算は月末になる。その時間差で余裕が生まれる。何カ月か続くと、資金が蓄積されてゆく。

右肩上がりの好景気だったから、この手法が通じた。バブルが消え不況が訪れると、リースクレジットもタイトになってきた。

しかし、村田社長は不況を「ベンチャーの好機」と見た。独特の技術や製品が評価されるようになるからだ。ベンチャー育成の政策や、ベンチャーキャピタルの 制度も整う。ビッグサンズがメーカー業へ転ずる機会でもある。自己資金で増資を行い、不足分をベンチャーキャピタルで借りることにした。これが10年目の 節目になった。

ベンチャーキャピタルの申請には正面から取り組み、分厚い書類を提出した。ここをパスしない企画は、どこにも通じない。

見通しがつくと、事業会社を設立した。これだと失敗のショックが少ない。先に説明したリトグラフの不振はこれで軟着陸できた。

やがて増資を続ける時期に入った。店頭公開を目指したのである。500円株を1万1000円で購入してもらったりした。経常利益も健全な数字だった。そこ へ阪神大震災。大阪南港の倉庫が陥没し、電子ディスプレーなどの破損、代理店の倒産で3億5000万円の被害を受けた。15年間の蓄積も消えたが特損で単 年度処理した。

震災復興は社内ベンチャー方式で乗り越え、その後3年間は再び黒字企業となった。

以上、好不況を味方にした足取りである。「ラッキーな面もありますね」と感想を述べると、村田社長は「ツキを味方にしながら来ました」と素直に語った。経 済情勢を味方につけるのも経営手腕である。これから、2回目の節目を乗り越えなければならない。

(村上順一郎)

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