【第9回】ツキを味方に

いま、不況や貸し渋りの嵐が吹き荒れている。ビッグサンズはどう乗り越えてきて、どう生き抜こうとするのか。

ビッグサンズには創業以来10年ごとに節目があった。創業20年目だから、創業時を別にすれば乗り越えた節目は1回だが。

最初の10年、カネの苦労はなかったと村田社長は言う。え?

その話はこうである。

もともと、大阪のビデオ・オーディオ電機メーカー出身の村田三郎が有志11人と独立した会社である。全員が出資者だった。前職の経営者も前途を祝して出資してくれた。それ以外に、資金の借り入れはしなかった。

借り入れで手持ちの担保を差し出したくても担保がない。連帯保証人を頼めば相身互いになって、リスクが大きくなる。

「脱サラからの出発だから金は借りられない」という前提だ。では、どうしたのか。

ちょうどリースクレジット業界の勃興期だった。創業時は、ビデオ・オーディオ機器の販売と結婚式ビデオ撮影である。機器を仕入れて、月初めに信用販売で売 る。10日前後に代金が信販から入金される。社内の給与や経費精算は月末になる。その時間差で余裕が生まれる。何カ月か続くと、資金が蓄積されてゆく。

右肩上がりの好景気だったから、この手法が通じた。バブルが消え不況が訪れると、リースクレジットもタイトになってきた。

しかし、村田社長は不況を「ベンチャーの好機」と見た。独特の技術や製品が評価されるようになるからだ。ベンチャー育成の政策や、ベンチャーキャピタルの 制度も整う。ビッグサンズがメーカー業へ転ずる機会でもある。自己資金で増資を行い、不足分をベンチャーキャピタルで借りることにした。これが10年目の 節目になった。

ベンチャーキャピタルの申請には正面から取り組み、分厚い書類を提出した。ここをパスしない企画は、どこにも通じない。

見通しがつくと、事業会社を設立した。これだと失敗のショックが少ない。先に説明したリトグラフの不振はこれで軟着陸できた。

やがて増資を続ける時期に入った。店頭公開を目指したのである。500円株を1万1000円で購入してもらったりした。経常利益も健全な数字だった。そこ へ阪神大震災。大阪南港の倉庫が陥没し、電子ディスプレーなどの破損、代理店の倒産で3億5000万円の被害を受けた。15年間の蓄積も消えたが特損で単 年度処理した。

震災復興は社内ベンチャー方式で乗り越え、その後3年間は再び黒字企業となった。

以上、好不況を味方にした足取りである。「ラッキーな面もありますね」と感想を述べると、村田社長は「ツキを味方にしながら来ました」と素直に語った。経 済情勢を味方につけるのも経営手腕である。これから、2回目の節目を乗り越えなければならない。

(村上順一郎)

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